2007年11月26日
第4回セミナー:佐藤優氏講演
フォーラムin札幌時計台 第4回記録
フォーラムin札幌時計台、第4回セミナーは、ゲストスピーカーに佐藤優氏を招いて、11月21日に開催された。佐藤氏は現在数多くの新聞、雑誌で連載を抱え、毎日が締め切りの状態だそうで、本当に多忙な中札幌へきてくれた。
佐藤氏の話は大きく4つの論点から構成されていた。
第一は、政党政治の現状、特に大連立騒動以来の迷走について。昔から、「綸言汗の如し」という言葉があり、為政者の発言は汗と同じで一度外に出たらもう取り返しはつかないということを、為政者は肝に銘じてきたはずである。安倍晋三前首相の政権投げ出しといい、小沢一郎氏の代表辞任騒動といい、政治家の出処進退がいい加減になっている。この点について、外国のメディアや政治ウォッチャーは、神秘の国日本という百年前のステレオタイプで現状を見ることが意味を持つと言っている。ルース・ベネティクトの『菊と刀』が再び読まれている。
政治の世界は論理の世界である。大連立とは、戦争など大きな危機の時にしかありえない。そもそも政党(political party)とは、部分という言葉から派生している。つまり、政党は社会の中のある部分の利益や主張を代表する。政党が自ら代表している部分を捨て、大連立という全体に融合することは、まさに全体主義である。自民党と民主党が事毎に対決するのは、実は両者が違うからではなく、似ているからである。
小沢民主党が参議院選挙の前ごろから、社会民主主義的なアジェンダを打ち出したことに、佐藤氏も期待していた。小泉時代の新自由主義の潮流を食い止めるために、民主党が社会民主主義の理念を打ち立てることは日本にとって必要である。しかし、小沢一郎にとって、社会民主主義も所詮は方便であり、思想ではなかった。思想がないからこそ、大連立という誘いを受けてぐらつくのである。今回の民主党の危機は、政治における思想の必要性を改めて教えた。
第二は、沖縄と北海道という地方から見た日本の政治。歴史教科書の検定によって、太平洋戦争末期の沖縄における集団自決について軍の関与はなかったという記述に変更させた件が住民の大きな怒りを集めた。そもそも軍が住民に手榴弾を渡したこと自体、いざとなれば自決せよという指示を含んでいたと解するのが当然であって、文書による命令の有無を議論すること自体無意味である。佐藤氏の母親は、沖縄本島で戦争を経験したので、その点については生き証人の一人である。沖縄では、軍の命令による集団自決という事実を捻じ曲げられたことに対する怒りが沸騰し、ある種のナショナリズムが高まっている。それは、沖縄独立論にまでつながる可能性もある。
しかし、沖縄にとって独立は得策ではないし、日本にとっても望ましくない。沖縄という異質な文化や伝統を持った地域が存在することによって、日本という国は強くなる。日本にとって沖縄は必要である。
小泉時代の新自由主義は、個人主義という観念と、人間の流動性をセットにして地域政策を組み替えた。人間は経済的機会を求めて動くべきだという考えで、地域を捉え変えた。そうすると、沖縄や北海道などの偏狭にへばりついている人は、好きこのんでそこにいる人々であり、様々なハンディキャップがあっても援助する必要はないという発想にいたる。つまり、新自由主義を国土に当てはめれば、仲間というリアリティがなくなるのである。これがさらに進めば、国家は内側から解体する。今はそのような危機が迫っている。
その点で、北海道はどのような状況だろうか。
第三は、アメリカの影について。新自由主義的改革がアメリカの発想であり、アメリカの国益にかなうものであったことは明白である。アメリカの教育において、歴史といえばアメリカ史であり、アメリカ史が世界史だと考えられている。世界はアメリカによって包摂されるというのがアメリカの発想である。こうしたアメリカと日本がどう向き合うかという問いは、日本が自立した国であるためには不可欠な重要問題である。
日本の政治スキャンダルについて、しばしばアメリカの影が噂される。アメリカ離れを起こし、独自の国益を追求しようとした政治家はアメリカによって追い落とされるという話である。小沢が大連立に乗ろうとしたのもアメリカの影だという話がある。下手をすればこれは陰謀論になるが、実際、アメリカという存在は大きい。アメリカが直接日本政府の中枢部に命令を下したり、具体的な要求を突きつけたりということはない。しかし、日本の政治家や外交官がアメリカの意図を忖度して行動したり、アメリカの威光を笠に着て自分たちの組織的利益を追求したりということは実際によくある話である。その点で、日本は国際社会のプレーヤーとして認知されていない。自主か従属かという根源的な問いを我々はもう一度根本から考えなければならない。
第四は、日本政治における思想的基軸についてである。現代政治の思想として、大きく、新自由主義、社会民主主義、保守主義の3つがある。日本では、小泉時代の新自由主義に対する反省の念が広がっている。その意味では、社会民主主義の出番である。福田政権も「自立と共生」というスローガンを唱え、構造改革へ一定の修正を加えることを明らかにしている。しかし、具体的なプログラムはない。
社会の現実において、19世紀にエンゲルスが描いたような貧困問題が叢生している。こうした問題は、個人の力ではどうすることもできない構造問題であり、政治の力で解決するしかない。そうした政治を作り出す上で、知識人の役割が極めて大きいのである。
以上が佐藤氏の講演要旨である。私自身、社会民主主義の立場から新自由主義を批判し、平等という価値を増進するために政策提言もしている。その中では、保守との連携も必要であると考えている。佐藤氏によれば、保守とは、フランス革命に対抗したエドマンド・バークのように、左派、社会民主主義の思想が体系的に展開したときこそ、保守が出てくる。今の日本ではまさに社会民主主義の思想が必要であると佐藤氏は強調した。私にとっては実に重たい課題である。
沖縄の地域主義の話も、北海道にとっては実に参考になる。非効率的だと切り捨てられるまま卑屈になるのではなく、豊かな日本にとって北海道が必要だという自己主張こそが必要となる。その点での議論をさらに深めていきたい。

フォーラムin札幌時計台、第4回セミナーは、ゲストスピーカーに佐藤優氏を招いて、11月21日に開催された。佐藤氏は現在数多くの新聞、雑誌で連載を抱え、毎日が締め切りの状態だそうで、本当に多忙な中札幌へきてくれた。
佐藤氏の話は大きく4つの論点から構成されていた。
第一は、政党政治の現状、特に大連立騒動以来の迷走について。昔から、「綸言汗の如し」という言葉があり、為政者の発言は汗と同じで一度外に出たらもう取り返しはつかないということを、為政者は肝に銘じてきたはずである。安倍晋三前首相の政権投げ出しといい、小沢一郎氏の代表辞任騒動といい、政治家の出処進退がいい加減になっている。この点について、外国のメディアや政治ウォッチャーは、神秘の国日本という百年前のステレオタイプで現状を見ることが意味を持つと言っている。ルース・ベネティクトの『菊と刀』が再び読まれている。
政治の世界は論理の世界である。大連立とは、戦争など大きな危機の時にしかありえない。そもそも政党(political party)とは、部分という言葉から派生している。つまり、政党は社会の中のある部分の利益や主張を代表する。政党が自ら代表している部分を捨て、大連立という全体に融合することは、まさに全体主義である。自民党と民主党が事毎に対決するのは、実は両者が違うからではなく、似ているからである。
小沢民主党が参議院選挙の前ごろから、社会民主主義的なアジェンダを打ち出したことに、佐藤氏も期待していた。小泉時代の新自由主義の潮流を食い止めるために、民主党が社会民主主義の理念を打ち立てることは日本にとって必要である。しかし、小沢一郎にとって、社会民主主義も所詮は方便であり、思想ではなかった。思想がないからこそ、大連立という誘いを受けてぐらつくのである。今回の民主党の危機は、政治における思想の必要性を改めて教えた。第二は、沖縄と北海道という地方から見た日本の政治。歴史教科書の検定によって、太平洋戦争末期の沖縄における集団自決について軍の関与はなかったという記述に変更させた件が住民の大きな怒りを集めた。そもそも軍が住民に手榴弾を渡したこと自体、いざとなれば自決せよという指示を含んでいたと解するのが当然であって、文書による命令の有無を議論すること自体無意味である。佐藤氏の母親は、沖縄本島で戦争を経験したので、その点については生き証人の一人である。沖縄では、軍の命令による集団自決という事実を捻じ曲げられたことに対する怒りが沸騰し、ある種のナショナリズムが高まっている。それは、沖縄独立論にまでつながる可能性もある。
しかし、沖縄にとって独立は得策ではないし、日本にとっても望ましくない。沖縄という異質な文化や伝統を持った地域が存在することによって、日本という国は強くなる。日本にとって沖縄は必要である。
小泉時代の新自由主義は、個人主義という観念と、人間の流動性をセットにして地域政策を組み替えた。人間は経済的機会を求めて動くべきだという考えで、地域を捉え変えた。そうすると、沖縄や北海道などの偏狭にへばりついている人は、好きこのんでそこにいる人々であり、様々なハンディキャップがあっても援助する必要はないという発想にいたる。つまり、新自由主義を国土に当てはめれば、仲間というリアリティがなくなるのである。これがさらに進めば、国家は内側から解体する。今はそのような危機が迫っている。その点で、北海道はどのような状況だろうか。
第三は、アメリカの影について。新自由主義的改革がアメリカの発想であり、アメリカの国益にかなうものであったことは明白である。アメリカの教育において、歴史といえばアメリカ史であり、アメリカ史が世界史だと考えられている。世界はアメリカによって包摂されるというのがアメリカの発想である。こうしたアメリカと日本がどう向き合うかという問いは、日本が自立した国であるためには不可欠な重要問題である。
日本の政治スキャンダルについて、しばしばアメリカの影が噂される。アメリカ離れを起こし、独自の国益を追求しようとした政治家はアメリカによって追い落とされるという話である。小沢が大連立に乗ろうとしたのもアメリカの影だという話がある。下手をすればこれは陰謀論になるが、実際、アメリカという存在は大きい。アメリカが直接日本政府の中枢部に命令を下したり、具体的な要求を突きつけたりということはない。しかし、日本の政治家や外交官がアメリカの意図を忖度して行動したり、アメリカの威光を笠に着て自分たちの組織的利益を追求したりということは実際によくある話である。その点で、日本は国際社会のプレーヤーとして認知されていない。自主か従属かという根源的な問いを我々はもう一度根本から考えなければならない。第四は、日本政治における思想的基軸についてである。現代政治の思想として、大きく、新自由主義、社会民主主義、保守主義の3つがある。日本では、小泉時代の新自由主義に対する反省の念が広がっている。その意味では、社会民主主義の出番である。福田政権も「自立と共生」というスローガンを唱え、構造改革へ一定の修正を加えることを明らかにしている。しかし、具体的なプログラムはない。
社会の現実において、19世紀にエンゲルスが描いたような貧困問題が叢生している。こうした問題は、個人の力ではどうすることもできない構造問題であり、政治の力で解決するしかない。そうした政治を作り出す上で、知識人の役割が極めて大きいのである。以上が佐藤氏の講演要旨である。私自身、社会民主主義の立場から新自由主義を批判し、平等という価値を増進するために政策提言もしている。その中では、保守との連携も必要であると考えている。佐藤氏によれば、保守とは、フランス革命に対抗したエドマンド・バークのように、左派、社会民主主義の思想が体系的に展開したときこそ、保守が出てくる。今の日本ではまさに社会民主主義の思想が必要であると佐藤氏は強調した。私にとっては実に重たい課題である。
沖縄の地域主義の話も、北海道にとっては実に参考になる。非効率的だと切り捨てられるまま卑屈になるのではなく、豊かな日本にとって北海道が必要だという自己主張こそが必要となる。その点での議論をさらに深めていきたい。この記事へのトラックバックURL
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