2008年04月10日

第7回セミナー:片山善博氏講演

フォーラムin札幌時計台 第7回 片山善博氏講演会 2008年4月5日

はじめに

 フォーラムin札幌時計台第7回は、前鳥取県知事で現在慶応義塾大学教授の片山善博氏を招いて、講演会を開いた。







 本論に入る前に、私と片山氏の縁について申し上げておきたい。片山氏と私はともに岡山の出身で、父親同士は教員で、私の父は片山氏の父上にずいぶんお世話になった。私は高校生のころから片山さんのことを聞かされてきており、「片山さんの息子さんは東大法学部を出て自治省(当時)に入った」とうらやましそうに言われたものである。その後私も東大法学部に入り、父親からは官僚になるようしつこく勧められたが、大した根拠もなく「官僚が日本を支配する時代はもうすぐ終わる」といって、学者の道に進んだ。その後、片山さんは鳥取県知事を二期務め、知事を勇退した後は慶應義塾大学法学部の教授に就任された。片山さんのほうが官僚に見切りをつけて、学者の世界に仲間入りされたわけである。いまや、官僚支配や中央集権に対して、最も厳しく、辛口の批判をされ、マスメディアに頻繁に登場している。片山さんの主張にふれるたびに、私は自分の進路選択が誤っていなかったという満足を感じるのである。

民主主義の不足がもたらした財政破綻−−−夕張市の教訓

 片山氏は、日本における民主主義と地方自治の不足について、具体的、体系的に語った。この十年ほど、地方分権が進んでいるといわれているが、実態はむしろ自治や民主主義が後退しているという危機感がこの講演の基調にあった。地方自治とは、人々が自分たちの地域の問題を自分たちで決めること、自治体が住民によって民主的にコントロールされているという意味であると片山氏は言う。

 しかし、最近そのような意味での自治が機能していない事例があちこちに見られる。北海道夕張市の財政破綻はその一例である。これは特定の市の問題ではなく、日本の自治体全体に通底する問題である。夕張市には、正規の市債とヤミの借金がそれぞれ300億円ほどあった。これだけの借金を作り出した執行部の責任はもちろん大きいが、議会の責任も大きいといわなければならない。表の市債が300億円ということは、10年償還として、毎年30億円ずつ償還するということである。夕張市の地方税と交付税交付金を合わせた歳入は1年約42−3億円であった。これで市の行政を運営することが無理なことくらい、誰にでも分る話である。また、ヤミの借金は、予算科目上は「諸収入」として計上されていたが、これが1年30億円程度あった。諸収入が30億円もあることの不自然さも、常識で分るはずである。議会は普通の常識があれば分ることを、漫然と放置したのである。

 議会の機能不全は夕張だけではなく、日本全体の問題である。地方議員は自らの使命(mission)を理解していないと言わなければならない。多くの議員は、市政、道政をスムーズに進めることを自らの役割と心得ている。また、市長、知事の与党として、執行部を守ることを自らの役割と任じている。こうした議会は八百長、学芸会である。議会とは、そもそも様々な議論を戦わせ、よりよい政策を見つける場である。議員や執行部の発言があらかじめ決まっている議会など、議会の名に値しない。議会が当然の疑問をぶつけていれば、夕張の破綻にしても、もっと早い段階で芽を摘むことができていたかもしれない。また、与党だから執行部の不正に目をつぶるというのは、本当の親切ではない。

 国や道にも責任はある。バブル崩壊直後の時期、国は自治体の尻をたたいて借金を奨励し、景気対策の公共事業を増加させた。その結果、自治体はしたくない事業をさせられる羽目になった。借金の償還に必要な財源は後で地方交付税によって面倒を見るという国の口車に乗った自治体も悪いが、国にも大きな責任がある。その後、それらの地方債の償還時期になっても、交付税は増えるどころか、減らされている。夕張市の破綻を契機に、国では自体の財政破綻防止法を作った。しかし、今までさんざんスピード違反を奨励しておいて、今頃自治体の行き過ぎをとがめるというのは、実におかしな話である。

 金融機関にも、自治体の債務についてはリスク感覚がないという問題があった。破綻を表明した夕張市にさらに貸し込んで職員のボーナスを払えるようにした銀行があった。それらの債権は優先債権として今後の再建の中で返済されることになっている。何の罪もない夕張市の子どもたちが行政サービスのカットで苦しむ一方、銀行が満額返済してもらえるというのも、不公正な話ではなかろうか。

 これからは、国や銀行のコントロールではなく、民主主義によって自治体の財政を規律する仕組みを考える必要がある。アメリカのように、公共事業財源のために起債をする場合住民投票を行うというのも一つの方法だろう。数十億円のお金をかけてそれだけの施設を作る必要があるかどうかを市民自身に問うことで、おのずと取捨選択や合理的な判断が働くであろう。また、自治体が地方税率をある程度自由に設定できるようにし、負担と受益についてそれぞれの自治体の住民自身で考えて決めるという仕組みも、これから必要となるだろう。自治体の運営を関係ない国の官僚に決めてもらうのではなく、住民自身で決めることこそ民主主義である。


道路特定財源をどう考えるか

 次に、今話題の道路特定財源問題について考えてみたい。この問題には、特定財源という仕組みを続けるべきかどうかという論点と、暫定税率を続けるべきかどうかという論点の2つがある。

 まず、前者の問題から見てみたい。そもそも財政には優先枠を設けるべきではない。様々な政策の中で総合的に優先順位をつけるのが財政というものである。国土交通省が音頭を取って知事や市長に特定財源制度の維持を訴えさせているのは、実に奇妙な話である。首長がそれほど「道路が必要だ」というなら、特定財源の縛りをはずしても自治体は道路に金を使い続けるはずである。つまりあのキャンペーンはそれ自体矛盾しているのである。自治体の首長が特定財源制度を維持してほしいというのは、政策に関する自由を放棄しているのと同じである。

 次に暫定税率の問題について考えてみたい。行政に携わる者が財源をほしいというのは当然である。しかし、負担する庶民の懐事情も考えるべきである。地方経済が疲弊している中で、公共交通機関が貧弱な地方ほど人々は通勤のために自動車を使わざるを得ない。実態として、地方の低所得者層ほど、ガソリン税をたくさん負担しているのである。

 環境負荷を考えるということであれば、揮発油税を他の使い道にまわすことも考えるべきであろうが、「民のかまど」を考えるのが政治だという原点を見失ってはならない。

 国会の予算審議を通して、道路特定財源の使い道に関する様々な無駄や腐敗が摘発された。ガソリン税が天下りの受け皿となる特殊法人に流れ、怪しげな報告書に数億円も払われていたり、イベントの費用に使われたりと、道路官僚の腐敗は止まるところを知らない。この問題を議論するときには、腐敗や不正に対する怒り、正義感が根底にあるべきである。そんな無駄をする金があるのなら、減税せよと首長は言うべきだ。

 知事の経験から、必要な道路を造りたいという事もよく分る。首長としてはコップ1杯の水はほしい。しかし、現状では、国はコップ1杯ではなく、タンクローリーを押し付け、しかもそのタンクローリーは水漏れだらけだ。

 いまや、霞ヶ関の官僚機構はミッションを見失っている。保身に汲々とし、金と権限を死守することを自らのミッションと考えている。

 以上が片山講演の要旨である。その後私と対談をした。

 私はまず、自治体首長の中で改革のエネルギーが低下し、たとえば知事会がむしろ官僚の応援団のようなことをするようになったのはなぜか尋ねた。片山氏は、そもそも「闘う知事会」などといわれたときでも、本当の改革派はほんの数人であり、知事のうち40人くらいはだまっていたと言う。片山氏や浅野、増田といった論客が退いて、元の木阿弥になっただけである。官僚支配の岩盤はそれほど強固なものだというわけである。

 では、官僚支配の岩盤をどうやって切り崩すかと突っ込んだところ、片山氏は案外楽観的な見解を示した。最近、参議院における与野党逆転のおかげで、霞ヶ関の思うとおりに物事が進まなくなった。日銀総裁人事、揮発油税などすべてそうである。暫定税率が期限切れになると国民生活が混乱すると官僚はさんざん脅かしたが、民間は柔軟に対応している。混乱しているのは官僚の頭のほうだ。岩盤を崩すためには、選挙以外に、市民住民の力を及ぼす仕組みを広げる必要があると片山氏は言う。

 今の霞ヶ関を見ていると、「裸の王様」という童話を思い出す。特定財源制度死守と叫ぶ自治体首長は、裸の王様を見て豪華な着物を着ていますねと世辞を言っているようなものである。官僚の権力とは、従属・服従する側が、「こう言わないと後でひどい目に会わされるから最初から調子を合わせておこう」と自主的、自発的に官僚の言うことに同調する点に発揮される。これに対して、片山氏は、知事時代に「王様は裸だ」と正直に言ったのである。王様は裸だといって何か不利益はあったのだろうか。

 片山氏によれば何もなかったのだそうである。物事を常にオープンにすれば、王様も理不尽なことをできなくなるというのが、片山県政の教訓である。

 この後、会場からも質問を受けた。

 民主党の若手道議会議員からは、質問内容を道庁職員に事前に伝えたところ、職員がそれを持って自民党の議員にご注進に及び、質問を盗用されたという経験が語られた。こうしたことは、片山氏が知事に就任する前の鳥取県議会でもあったそうである。地方議会の情報公開がまったく進んでいないことに、暗澹たる思いがした。

 また、公務員志望の学生から、霞が関の役人は国のために長時間働いているではないかという指摘があった。これに対して、片山氏は、良いことを正直にやれば時間はかからない、ごまかそう、隠そうとするから時間がかかるという答えがあり、納得したしだいである。

 ともあれ、片山講演会はきわめて時宜にかなったものであり、落城寸前の霞ヶ関を最後どうやって突き崩すかという実践的な問いに、多くのヒントを得た思いがする。 
                        文責  山口二郎

  

Posted by jyam at 20:07Comments(5)TrackBack(2)講演要旨